・ぎざぎざとした歯止めについた台
・ぎざぎざとつかえて、苦労する仕事
・なりわい。生活のため苦労してする仕事
・報いを生じる元となる善悪すべての行い。
『人間の業の肯定』を落語の本質だと言ったのが
立川談志です。
昨日の日曜、NHKのハイビジョン放送で正午から
「立川談志10時間スペシャル」が放送されました。
録画したのを、まだ一部しか見ていませんが、なかなか
面白そうな番組です。
「笑点」という番組を企画して初代の司会者と
なった落語家、5代目小さんの弟子ですが、後に
落語・立川流の家元となり破門…。
残念ながら、私が寄席通いをしていた頃は、すでに
談志が落語協会から脱会した後だったので、談志の
高座を聞いたことがありません。ラジオやテレビ、CD
だけです。

昨日は「芝浜(しばはま)」の高座があったのを
チラッと見ました。「芝浜」は3代目の三木助のが
好きです。三木助の「芝浜」とは全然違うのが談志の
「芝浜」です。業を前面に出した高座は、特に終盤は
迫力を感じます。三木助のあっさりした粋な「芝浜」
とは大違いです。
業を極めるような演題として「黄金餅(こがねもち)」
があります。昭和の名人・志ん生が、まさに業を肯定する
「黄金餅」だったのですが、それに輪をかけたような
「黄金餅」です。でも志ん生のもフラがあってなかなか
味があり、どちらも大好きです。
先代の可楽の「野ざらし」も良い口跡で聞き惚れるの
ですが、談志が演じると、また違った味が出てきます。
談志は、また落語論が面白いです。最初に執筆した
現代落語論、もう40年以上前のものです。

昭和の名人が次々と逝き、自身も立川流の家元と
なった頃に書いた落語論其の二、これも読み応えが
ある本です。
私の宝は、フジテレビで深夜放送された「落語のピン」
のビデオです。十数年前の談志の『人間の業の肯定』
としての落語が顕れていた番組でした。
