2007年07月28日

敏馬・神戸の港のルーツ



敏馬という地名、

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JR灘駅や阪神電車岩屋駅の南になります。
古い地名で神戸市中央区脇浜町2丁目、
国道2号線沿いの阪神バスの停留所の名称です。

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読み方は「みぬめ」です。この敏馬は、近くに
ある敏馬神社が由来になっています。
今、神戸にある大きな神社は、生田神社、長田神社
そして湊川神社ですが、湊川神社は明治期になって
新しく出来た神社であり、大和時代からの古い
神社は、生田神社、長田神社、そして敏馬神社
の3つになるようです。

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敏馬(みぬめ)神社は神戸市灘区岩屋中町4丁目
になって敏馬停留所と敏馬神社は区の境界線を
またいでしまっています。

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敏馬神社の拝殿は、鳥居をくぐって階段を登った
処にあります。8世紀頃には、この高台が海に
突き出した岬だったようで、この東側は港に適した
入り江だったようで「敏馬の泊」があったそうです。

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境内には「水神社」があり、水を司る神・弥都波能売神
(みずはのめのかみ)が祭られています。敏馬神社
創建時の主祭神だったようで、「みぬめ」の由来は
この神名が由来のようです。

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大和の人が九州や韓国へ行く時に、今の大阪近辺から
船出して、この敏馬の泊で一泊、大和が遠望できる
最後の港だったようです。逆に大和に帰る時は
なつかしい大和が見える最初の港。また朝鮮人が
来朝すると「生田社で醸した酒を敏馬でらまう」(延喜式)
とあり五畿内に入るために、けがれを祓う港でも
あったようです。

奈良時代後半(八世紀後半)になると、航海の進歩と
共に、港は、敏馬の西にある大輪田の泊(兵庫港)に
移り、白砂青松の美しい海岸が残ることになりました。

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明治に入って、鈴木商店の神戸製鋼所が出来て
工場地帯の真っ只中になりましたが、阪神大震災で
大きな被害を受けて川崎製鉄阪神製造所、神戸製鋼所などが
移転したりしてできた空き地に、新しい街HAT神戸
が出来て、その玄関口に敏馬神社は位置します。

 江戸時代の地図には、生田川の西に、西国街道沿いに
東から神戸村、二茶屋村、走水村の名前を見ることが
出来ます。この3村が明治初期に神戸町となり、その後
生田宮村・中宮村・花熊村・北野村・宇治野村を合併して
明治9年の 郡区町村編制法に基づいて、神戸町と兵庫津、
坂本村が合併して「神戸区」となって、今の神戸市へと…。



posted by student at 08:35| 日記